はじめに

ジャストインタイムの生みの親であるトヨタの大野氏のエピソードを交えながら、全部原価計算の欠陥、過剰生産・過剰在庫のリスク、ジャストインタイムの哲学、ジャストインタイムに対する誤解、複数原価計算の勧めについて解説します。

全部原価計算の欠陥

どこの本で読んだかは覚えていませんが、大野氏は過去に、経理部とよく口論をしたそうです。「会計の在庫評価はおかしい!」と。

経理部は、「それがルールなので仕方がありません」と反論したとのことですが、大野氏は「会計で在庫の評価を行うと、会社が倒産してしまう」と主張したそうです。

会計のルールは数ある原価計算のうち「全部原価計算」に基づいています。全部原価とは、変動費と固定費を合算した総原価を指します。

全部原価計算は、会計において必須の手続きです。しかし、それは主に企業間の公平な税金計算に使うためのものであり、製造業における現場の意思決定に利用するには大きな問題があると言えます。

たとえば、固定費が6,000円で生産量が100個だとすると、1個当たりの固定費は60円になります。変動費が1個当たり40円なら、1個当たりの製造原価は40円+60円で100円です。

もし社長が「1個当たりの製造原価を下げよう」と指示した場合、生産量を増やすことが最も簡単な方法です。生産量を2倍の200個にすれば、固定費は6,000円÷200個で30円になります。変動費40円+固定費30円で1個あたりの製造原価は70円となり、初めの100円から30円も削減できました。

全部原価計算では、コストを削減しなくても、生産量を増やすだけで、固定費がより多くの製品に分散され、1個当たりの製造原価が低くなります。

そのため、製造業にありがちなパターンが、以下のようになります。

このように、全部原価の視点で生産性を考えた場合、工場はひたすら稼働率を高め、生産量を増やすことになります。だから、大野氏は、会計の全部原価計算で判断すると、過剰生産や過剰在庫を引き起こすとして、経理部と衝突しました。

日本で初めて原価計算基準ができたのは1962年でしたが、施行直後からこの問題点を見抜いた大野氏は、さすがです。

過剰生産・過剰在庫のリスク

在庫自体は悪いものではありません。製品在庫を持つことで、顧客の注文に迅速に対応できます。また、原材料在庫・部品在庫・工程在庫を持つことで、製造プロセスを円滑にし、製造リードタイムを短くすることができます。

しかし、販売量を大きく上回る過剰生産・過剰在庫は別です。この場合、以下のようなリスクやムダが発生します。

1.賞味期限切れや流行遅れで販売できなくなるリスク

過剰在庫は販売までに長い時間を要するため、製品が賞味期限切れになったり、流行遅れになったりします。販売できないと在庫は廃棄され、損失が発生します。

2.倉庫スペースや管理コストのムダ

在庫を保管するには場所が必要です。過剰在庫を保管する余計な倉庫スペースや、それを維持するための余計な管理コストが発生します。

3.資金の流出

生産にはお金がかかります。製品をつくるための原材料、電力料、加工するための人件費などが必要です。余計に生産すれば、1個当たりの製造原価は下がっても、総原価は増え、資金が流出します。

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トヨタの大野氏が「会社がつぶれてしまう」と言った理由が、まさにこれです。自動車製造は多工程であり、各工程の部門長が、1個当たりの製造原価を重視して、過剰生産した場合、資金が流出し、資金繰りが大変なことになります。

さらに、自動車の工程品は、小型家電などと比較してサイズが大きく、倉庫スペースが不足した場合、新しい倉庫を建設したり、工場から遠い場所に臨時倉庫を借りたりするなど、次から次へと無駄な経費や支出が発生します。

「会社がつぶれてしまう」というのは、大野氏の本音であり、決して誇張ではなかったに違いありません。

ジャストインタイムの哲学

そこで、生み出されたのがジャストインタイムです。

ジャストインタイムとは、1960年代に日本で生まれ、その後、世界中で広く採用されている製造哲学です。その根本思想は「必要なものを、必要なときに、必要な量だけ生産し、無駄を省き、効率を最大化する」ことです。

ジャストインタイムは「過剰生産や過剰在庫は製造プロセスから排除されるべきムダ」であるという考えに基づいています。そして、それを支える重要なツールがカンバン方式です。

カンバン方式は、生産現場において部品や製品を生産する際の補充方法の一つです。製造過程で必要となる部品の補充を、必要数の部品が消費された時点で行う方式です。具体的には、生産ラインに配置された「カンバン」と呼ばれる札を使って、部品や製品の補充を行います。

つまり、カンバン方式だと、上流工程の生産は下流工程からの発注量と発注タイミングで決まります。そのため、上流工程が自らの意思で決める場合に比べて、稼働率や生産性は下がります。

しかし、製造工程を数珠つなぎのように連結し、販売の末端までつなげてみれば、過剰生産・過剰在庫を無くせるため、全社トータルでは最も生産性が向上することになります。

ジャストインタイムは、ミクロの生産性向上を求めている手法ではありません。マクロの生産性を向上するための仕組みです。個人よりもチームを優先して勝利する、とても日本的な発想であり、その思想が世界的なビジネス哲学として広まったと言えます。

ジャストインタイムに対する誤解

ジャストインタイムはSCM(サプライチェーンマネジメント)としばしば比較されます。特に、その「対象範囲」に関する相違点が指摘されています。ジャストインタイムは製造プロセス、中でも在庫管理に重点を置いているとされますが、一方でSCMは販売・製造・調達のすべてのプロセスを対象としていると考えられています。

しかし、このような比較は誤解を招くものです。1986年に行われた講演会で、大野氏自身が次のように述べています。

「この2~3年、あちこちの会社を見せてもらったが、ひどいところは現場の長にまったく経営的なセンスがないんですね。部長は部長で、生産性さえ上げれば会社は良くなると単純に考えている。

その一方で、経営というものに関しての教育がまるで行われていない。私たちは、「売れるものを売れるだけ、ジャスト・イン・タイムでつくる」ことが最も経営にプラスするということを実践している。ところが一般の企業はそうじゃない。」

モノづくりの経営思想(木下幹彌編著/東洋経済新報社)

ジャストインタイムは、製造プロセスだけで成り立つものではありません。カンバン方式が有名なので、そういった誤解が生じることがありますが、販売を含めてこそジャストインタイムは機能します。

原価計算は役に立たないのか?

大野氏は、会計のルールである全部原価計算を嫌っていたわけですが、同じ講演会の中で、そのことを面白い表現で語っています。

「1000個を800個にすればひどくコスト的に高いモノになるという妙な計算、これは原価知識からくるんです。だから私は、「知識はいらん、意識だけが現場には必要だ」ということを言い続けてきました。

水道の蛇口から水がぽたぽた落ちている。「ああ、もったいないな」と思う気持ち、ムダな水を垂れ流していることが、原価が高くなる原因だなと感ずる意識が行動につながってくる。」

モノづくりの経営思想(木下幹彌編著/東洋経済新報社)

全部原価計算は、妙な計算です(笑)。先に述べたとおり、会計や税務のルール的なものでしかありません。製造現場にまったく役に立ちません。

大野氏の「原価の意識が大切だ」と言うのも、よくわかります。ムダだと思わなければ、ムダを無くすことなどできません。

1960年代はパソコンはおろか、電卓もなかった時代です。複数の原価計算を行うことは難しかったと思います。現実的に1種類しか原価計算ができない場合が多く、会計上、全部原価計算を行うしかありませんでした。

しかし、時代は大きく変わりました。今では、全部原価計算を行いながら、複数の異なる原価計算を並行してシミュレーションできます。

経理部は全部原価計算で決算を行い、製造部は直接原価計算で生産管理を行い、営業部は予定原価計算で価格決定を行うことができます。やる気さえあれば、そのような仕組みを構築することができます。

また、IoT(モノのインターネット)やビッグデータ解析技術が進歩し、生産現場においても様々なデータが取得できるようになりました。

たとえば、製品の品質データや生産ラインの稼働状況データ、部品の納期データなどがあります。これらのデータを分析することで、ムダや原価の改善点を発見し、改善につなげることもできます。

今なら、大野氏が喜んでくれるような現場経営にあった原価計算や原価意識をサポートする指標、ムダを見つけるためのデータを提供することができます。

まとめ

大野氏は、全部原価計算について過剰生産や過剰在庫を招くと経理部と意見がぶつかっていました。

過剰生産や過剰在庫は、製品が賞味期限切れや流行遅れになり、倉庫スペースや管理コストが増加し、資金の流出を招くリスクがあります。特に、多工程の産業である自動車製造では、部門ごとに過剰生産すると資金繰りが大変になります。

ジャストインタイムは、過剰生産や過剰在庫を排除し、マクロの生産性を向上させる哲学です。ミクロの生産性よりもマクロの生産性を優先する発想であり、日本的な考え方です。

大野氏は「売れるものを売れるだけ、ジャスト・イン・タイムでつくる」ことが最も経営にプラスすると発言しており、販売プロセスを含めなければ、真のジャストインタイムとは言えません。

現代では、全部原価計算に加えて複数の原価計算が可能です。また、生産現場で様々なデータを分析し、ムダや原価の改善点を発見して、改善につなげることができます。